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ふつうのそううつ、または虎とバラの日々。なにわ女のばたばたいそがしライフ。
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たまに、突然片付けを始めることがある。
何か家事をしてる途中の流れで、ふっと。
(実はこういう時は「上がってる」ことが多いので、慎重にならなあかんのですが)

たしか洗った食器をしまってるはずやったのに、気づけば使ってない台所用品を捨ててたり
高い戸棚を開けてモノのしまい方を変えてたり、ホコリが気になってささっとはらってたり。
そして振り返ると掃除機のコードを3mものばしている。スイッチを「強」に入れて。
やる気満々である。ただ、それは不幸なことに何ヶ月かに1度しかこない。

今回は廃品回収がきっかけで、主に紙製品を捨てた。
新聞・チラシ・パンフレット・カタログ・・・・・・。
特にうちはネットショッピング率が高く、送ってくる時の箱がハンパなく多い。
たった1冊の文庫本を送るのにでっかい箱でガチガチに固めてたり
靴下1足買っただけやのに重いなぁ、と開けてみたらカタログがどっさり詰まってたりする。
エコロジーという意味を、彼らはたぶん履き違えてるんやと思う(ーー;)
いや、エコ自体が具体的な効果を求めるものでなく、ファッションみたいなもんやろけど。

とにかく捨てる。やる気のある今しかない。
どうしようかな、とためらってたものも思い切って捨てる。
部屋がどんどん広くなっていく。元から自分の家なのに別宅みたいだ。


一通り終わって、心地よい疲れに息を深く吐く。
この些細な爽快感は何かに似ている。と思ったら、恋の終わりだった。


好きやったけど、一緒にいられない。
欲しかったけど、私のものにはならない。
彼は私なしでもちゃんと生きていける。そして私も。

そういうことを心と体が一致して理解した瞬間に似ている。
「あれ?なんであたし、こんな男にずーーっとこだわってたんかなぁ?」
そして窓の外が明るくなって、ちょっと出かけよっかなって気分になる。


そうか。もう怖くないのか。
何かを手放せば、あたらしい何かが入ってくるようにできてるのね。
今まで嘘やと思ってたけど、ほんまにそれは起こる。

「腑に落ちる」とは、こういうことなのかぁ。
三十路も半ばを過ぎて気づくとはね(^^;
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うつ状態の時、何もできない私に何も言わない夫は
ただ黙って、ごはんを炊いてくれる。
料理は何ひとつできないけど。

ちょっと水少なめで、炊き上がったのをさっくりまぜて。
食欲だけは減らない私は、湯気にまみれた白いぴかぴかをのぞきこむ。

おかずは、韓国のりとふりかけと納豆で十分だといってくれる。
本当は肉が好きで、唐揚げとかとんかつとか餃子とか作ってあげたいけど、
エネルギーを使うとあとが大変と知っている夫は、贅沢言わず食べてくれる。

私が炊くのよりおいしい気がするごはんを見ながら、
そんな夫と、結婚して本当によかったなぁ、と思う。


もっと普通の、健康な女性と恋してたら、結婚してたら、よかったかもしれないね。
でもほら神様って、案外そういうの何にも考えてないかもよ?
くっつけばどうにかなるっしょ、って。
案外楽天家なのかも。


たとえ生きながら死んでる状態でも、
この人のためには、生きていたいなあ。
 

残念だが、君は1年生きてしまった。

体しんどーい!と言いつつ、仕事しんどーい!と言いつつ、
自分の無力にがっくりし、こんな体いらんわ!とひとりでツッコミ、
それでもどないもならんのと、現実的な性格が幸いしてか、
限界をぎりぎり超えずに1年生きてきた。


人はなんで生きるのか?という問いにはたぶん、
誰も明確な答えは持っていないだろうけど、
たとえそれが「布団の中で寝るのが気持ちいいから」という
なんやねん且つ些細なことでも、十分な理由になると思う。


生きてなあかんやろ!と高飛車な物言いをするつもりはないけど、
まだできること・やりたいことはたくさん残っている。
可能性を狭める必要はない。今の自分でできることは無限にある。
自分を責めたり、必要ないと思うのは湿っぽいからやめてほしい。

君はそれで十分だ。できないことの、弱いことの何が悪い。


誕生日。
君はまた、1年更新で生きてもらうことになる。
つらく悲しいことは多いが、我々は手出しができない。
君を上の世界に連れて行くか決められるのは、もっと上のお方だけだからな。

くれぐれも自ら上に昇ることを望んではいけない。
その後の保障は誰にもできない。それだけは忘れぬように。


こんな我々でも、わずかな良心ぐらいはある。
君がどうなっても歩いてゆけるよう、ささやかながら願っている。
確か1年前にも、同じ光景の中にいたような気がする。

前日、夜も遅くなってごそごそし出して、さっさとフトンに入りゃあええのに。
ああでもこうでもないと、かばんやらポーチやら服やらひっぱり出して。
あげくの果てに疲れてぱちぱち爪を切って。
そういや夜に爪を切るなと親に叱られたなー、と無関係な思い出でごまかしたり。

次の日からは、りっぱな接客業さんになるために遠くの町で勉強してた。
それから半年。
私はどうなる?とか考える前に、こうならなきゃ!と思わなやってけなかった。


そのままでとどまってたらラクやったのに、なぜ飛び出していったんやろ。
自分には夢と思えたことが、手に届くものだと信じたかったから、つらいなんて思うヒマなかった。
寂しいなんて思うと、罰が当たると思ってた。
それらがすべて、あとで崩れるかもしれないとわかってても。


私が眠ってた間、世界はあまり変わってないけど、
同時に大切な人たちの暖かさも、変わらないものと知った。
私もまた、変わっていない。
変わらなくてもいい。


「絶対大丈夫」と言ってくれた人にはもう会えないけど、
仕事も世間もそんなに甘いものではないけど、
そしてまた、躁と鬱の波に飲まれるかもしれないけど。


とりあえず、もう一度やりたかった。
待っていてくれて、ありがとね。
どうやら、復職が近い予感がする。

体調はなかなかいいし、夜も睡眠薬服用しつつもよく眠れてるし、
とりあえず仕事のことは何とかなるやろ、と思うようになった。
正直、そう思わな働いていけない気がする。
家事と昼寝とネットだけでは、1日が長すぎる。
あとは、主治医の許可を待つのみ。


んで先日、友達に「やっぱり働かなあかんの?」と聞かれた。
うーん、そやな。そやね。

結婚したから、贅沢さえしなければ何とか暮らしていける。
実際夫にも「あかんでもええやん。パートでもしたら」と言われる。
体のことを考えるとそのほうがいいに決まってる。

ふと、酒井順子が「少子」というエッセイで書いてた言葉を思い出す。
「専業主婦は、自分のパンツを人のお金で買うのが平気な女性のことだ」
みたいな意味やったと思う。
それがいいとか悪いとかでなく、自分の性格に合ってるか合ってないかの話。
私は合っていなかった。

自分の欲しいものを買うのに、お伺いを立てなくてはいけない状況はイヤだ。
周囲から「旦那さんに食べさせてもらってるんやから」と言われる状況はイヤだ。
(自分で言うのは別にいい。なんで他人が言うのか・・・・)

自由がほしい。
誰かの庇護の元では、どんどん萎縮する。
同じ苦労なら、何かを生み出せる方に身を置きたいと思う。


少しでも自分で好きにできるお金があれば心理的負担も減るし
働けるなら大丈夫って自信がつく。
結局、働くのが好きか嫌いかと聞かれたら、好きなんやと思う。癪やけど。
作者近影
HN:
よしは
性別:
女性
趣味:
阪神・音楽
自己紹介:
ごくふつうに働き、ごくふつうに家事する、ごくふつうの主婦。
でも、ただひとつだけ違っていたのは・・・・
奥様は「双極性障害(躁うつ病)2型」だったのです。
( ̄▽ ̄;)はははっ
少しずつあせらず、が目標。
「がんばる」のはもう終わり。

<今飲んでるのは・・・>
・リーマス(気分安定薬)
・デパケンR(同上)
・デプロメール(抗うつ薬)
・チラーヂンS(甲状腺の薬)
・ソラナックス(抗不安薬)
・マイスリー(睡眠導入剤)
★治療や薬については必ず
専門家に相談してくださいね★
おしらせ
★コメントは承認制です。ゴメンナサイ。でもコメントしてくれると、とってもヨロコビますぅ( ̄▽ ̄)

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